01
現在の住所の地域になります。
改めて見るとかなり細かいですね〜
豊島区は、高田 目白 西池袋 南長崎 長崎
新宿区は、高田馬場 上落合 下落合 中落合 中井 西落合

02
昭和8年の地図です、青字は丁目になる前の字(あざ)を表示しました。
例えば昭和6年には
豊多摩郡落合町大字下落合字中原00番地の住所表記が昭和7年には東京市淀橋区下落合2丁目608番地
となります。
椎名町は落合、長崎地域の字名としてありませんでした。
椎名町は今で言う商店街の通称名○○商店街と言った類ではなかったのかと思われます。
それが駅名に使われ町名になりそして消えても尚別な意味で椎名町ブランドが残る不思議なネーミングです。


03
昭和7年の地図です。
明治初期は豊島区長崎村も新宿区下落合村も豊島郡(武蔵国)と言ってました。
明治11年(1878年)東京府の施行により清戸道(目白通り)を境に北豊島郡と南豊島郡に分かれます。
江戸の昔から清戸道(目白通り)は大きな存在ようです。
昭和7年の東京市の施行により北豊島郡はに豊島区となります、
南豊島郡は1897年(明治30年)に豊多摩郡となり昭和7年に淀橋区、昭和22年(1947年)新宿区となります。
町制施行により長崎村から長崎町の変更は大正15年 落合村から落合町は大正13年です。
複雑なのは豊島区の町名です。
昭和7年の東京市の誕生により長崎村(町)は長崎仲町、長崎東町、長崎南町、千川が出来ました。
目白町1丁目は北豊島郡高田村(町)の一部、大字高田字金久保沢、目白町4丁目は大字雑司ヶ谷字雑司ヶ谷旭出町となります。
大字高田でなく大字雑司が谷ですから神社の氏子が違います。祭りの関係で違いますのでこの飛び町の歴史は今でも生きてます。
そして
東京市の誕生により目白が住所表記され本当の意味で認知されたことになります。
昭和7年東京市誕生によって豊島区内に目白町、昭和41年(1966)年に目白が誕生。同年に文京区目白台も誕生します。
そんなこんなで一言で「目白に住む」とありますが
文京区目白台から豊島区目白から西落合や中井の高級住宅街の目白文化村までかなり広範囲を指します。


椎名町は複雑な歴史があります。
昭和7年東京市施行により長崎南町1丁目〜が出来ました、その7年後長崎南町は椎名町へと町名変更となりました。
住民にとっては椎名町になったとたんに戦争となり戦争終結後に帝銀事件で町名は日本で最悪な記憶として有名になります。
町民としては引越したくても引っ越せないほどの土地下落したそうです。
1/10になったという話もあります。
昭和の時代は椎名町価格と言う言葉あったほど物価が安かったようです。
1966年(昭和41年)に住所の変更がありますが、この時に住民は署名活動を行い椎名町の町名は消えます。
長崎南町1丁目>椎名町1丁目〜2丁目>目白4丁目〜5丁目。
(山手通り)
長崎南町2丁目>椎名町3丁目〜4丁目>南長崎1丁目〜2丁目。

ブラタモリ『目白ブランドの正体』の紹介では
『目白坂の目白不動』『目白台の椿山荘』『目白の学習院』『下落合の近衛町』
私的に思う起点は不動<目白駅<昭和41年の住所変更より目白と目白台の誕生
昭和41年当時(皇室人気)を考えれば物価安の椎名町から目白町名変更は希望だったかもしれません。
今や不動産価値を上げる為の意味のないブランドイメージですから。
多くの学生が目白駅を利用しても駅周辺には本屋&文房具屋一つありませんから町の機能としてダメでしょう〜。


下落合氷川神社>下落合1丁目〜3丁目
高田氷川神社>目白町1丁目〜3丁目
大鳥神社>目白町4丁目
長崎神社>長崎南町1丁目〜3丁目
月見岡八幡宮神社>現・上落合1丁目と2丁目半分ほど
中井御霊神社>現・中落合1丁目、中落合3丁目、中落合4丁目、中井1丁目〜2丁目
葛谷御霊神社>現・西落合2丁目のみだと思います。

下落合三丁目は(中落合1丁目、中落合2丁目、中落合3丁目)
下落合四丁目は(中落合3丁目、4丁目、中井2丁目)に分かれました。
下落合五丁目は中井1丁目となったようです。




06
こちらの地図は豊島区の町会です。
参考HPは豊島区町会連合会
http://toshimaku-choren.com/chouk-ichiran/

下落合では町会と氏子のエリア違いを説明しましたが
豊島区は町会と氏子のエリアが同じで説明し易いかもしれません。。
ま、どちらも現住所など考慮ナシですけど・・ね。
豊島区は豊島区で面白いところもありますから、どうぞ〜(笑)

目白協和会>長崎神社(天祖神社)
目白山紫町会>大鳥神社
目白三丁目町会、目白東町会>高田氷川神社
西池袋南町会>御嶽神社

目白山紫(さんし)町会は元目白町4丁目(字雑司ヶ谷旭出町)と同じエリアで雑司ヶ谷の飛地なため大鳥神社の氏子として現在に至ってます。
地図でもお分かりのように線路向こうの西池袋の一部にも属してます。

目白協和会、南長崎一丁目みどり会、南長崎二丁目町会、南長崎三丁目北部町会の神輿倉は天祖神社
南長崎三丁目南部町会、南長崎四丁目町会、南長崎五丁目町会、南長崎六丁目町会の神輿倉は五郎久保稲荷神社
となりますので、南長崎3丁目は南と北に町会が分かれます。
長崎神社例大祭であっても神輿の宮入は天祖神社や五郎久保稲荷神社になります。

最後に
若い世代にとって祭りなんて関係ないしこんな複雑なら尚更関係ないと思います。
椎名町という駅名、いったい誰が考えこれにしようと命名したんでしょうか?
その経緯はもう藪の中で解明することはないと思います。
国や県や都の都合で住所表記を変えようも住民はある一定のエリアを守ります。
地の神様がいることを信じ、効率的に他所様の神様に任すことも変更することはできませんから
毎年恒例の秋の例大祭があります。
どこでも金銭的にも人手(担ぎ手)不足で存続が厳しい状況です。
お正月に神社に行くように地元にお祭りがでるようでしたら
必ず神酒所も出ます。
神酒所は地元の神様がお酒を飲んで振る舞うため地元に下りてくる場所です。
神様が乗る神輿を担ぎ地元の五穀豊穣を願いみては如何でしょうか?

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