下落合駅〜瀧乃家
下落合駅はかなり古い駅です。
下落合住人とっては変わらない駅であり降りるとほっとします、駅周辺のお店はかなり少な目です。閑静な下落合駅から6〜7分も電車に揺られれば西武新宿駅・・・ですからね〜

落合の町名の由来は神田川と妙正寺川が落ち合う場所からです。合流地点は駅から東へ100メートル先(滝沢橋〜落合橋間)だったかと思います、そのため大雨が降れば氾濫し下落合駅周辺は大変でした、現在の合流地点は新目白通りと明治通りの交差点辺りになり、妙正寺川は新目白通りの下を流れてます。
下落合駅からすぐ見える川は神田川ではなく妙正寺川です。
妙正寺川の川沿いを100メートル東へ歩くと新目白通り下へ流れ込むトンネルを見ることができます。その先を右に折れると神田川が見れます。
忽然をひとつの川(妙正寺川)がトンネルへと消え200メートルも歩けば川(神田川)に出合うわけですから不思議と言うより一本の川が流れてるように思います。
落ち合う場所が落ち合わない場所となりました(笑)
川の上流地を上落合と呼び下流を下落合、西の落合村は西落合となります。
昭和40年の住所表示の変更により新たに中落合や中井の町名ができました。
とくに中井の町名は中井駅があったため生まれたと言って良いかと思います。
西武線中井駅の旧住所は「落合町大字下落合字中井」で「字中井」から取り下落合駅は「大字下落合」からでしょう〜
*椎名町(豊島区)の町名が消え椎名町駅が残ることもあります。

もうひとつの下落合の顔は台地と街道です。
もし下落合駅から瀧乃家へ歩くとすれば必ず坂道を上ることになります。
しかもかなりの急坂で、上った先は目白通り(清戸道)になります。
江戸時代の清戸道は練馬方面から農民が野菜などの農作物を江戸の町中に運んだ道で、清戸(清瀬市)にあった尾張徳川家の鷹場御殿への道でもあります。
下落合にあるおとめ山も将軍家の鷹狩場のひとつでした。
目白通り(清戸道)は昔から流通として栄えた通りのひとつです。
坂上は道で栄え、坂下は川で栄えたのです。

下落合の最大の発展は、聖母坂にある聖母病院が大きいと思います。
聖母病院は昭和6年に建立されました。
坂道の名前に聖母が付くほどですから、坂道(道路)と病院をセットにしての開発、当時としてはかなりの一大事業だったことでしょう〜また聖母坂は上落合村下落合村長崎村を結ぶ坂(道路)でもあります。また1932年(昭和7年)の北豊島郡から豊島区淀橋区と区への昇格のための事業だったことも考えられます。
目白通りも歩道ができるほどに拡張された時期も昭和7〜8年だったと思います。
大正初期から始まった目白文化村の分譲と聖母病院とで下落合の目白通り界隈は多くの商店ができたことは間違いありません。
今と違って駅周辺より生活圏にお店があった方が便利ですから・・、特に目白駅周辺は生活圏と言うより学校とお屋敷ですから・・


昭和30〜40年頃の下落合の商店の数は驚きです。
聖母坂から目白駅方面の信号3つ分約500メートル(ピーコック)の間に八百屋さんは8軒お肉屋さんは6軒ありました。今は・・・。
昭和44年ころ下落合3丁目にピーコックができ、三丁目の人の流れはピーコックで止まり、また高度成長期のため会社員も増え駅へと流れが加速しました。
また新目白通り完成で上落合と下落合の流れは分断されました。

地図はせっかくですので
聖母坂でなく久七坂を上ってみてください。
久七坂から見る新宿の夜景は綺麗だったんですけど今はビルの頭しか見えないのは残念。
途中ご利益満載の大六天がありますのでご勘弁を・・。
佐伯祐三アトリエ記念館の道も表示してます。
聖母坂から左へ折れる道が非常に分かりにくいはずです。
酒屋さんの手前の細い路地を入り突き当り手前の左の小道の突き当りが佐伯祐三アトリエ記念館です。


楽しみながら暗渠になる川を覗き急坂を上り瀧乃家へお出掛けください〜